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Posted by あしたさぬき.JP at

2009年04月22日

続きはTwitterにて

筆がとまってしばらくたちます。すみませんです。

他の文筆活動が活発になってきておりまして、ここへエネルギーを割くことができず(言い訳)、続きはTwitterで。というか、ほぼすべての僕からの情報はTwitterに集約しておりますので。


http://twitter.com/kmorita/

Twitterもしばらく放置していたのですが、ユーザー数が一定の数を超えて、かなり面白くなってきてますよ。日本人にはとっつきにくいかもしれませんが・・・。アーリーアダプターレベルはもう超えてきてるような・・・。  


Posted by kmorita at 12:40Comments(0)なんとなく

2008年12月24日

起業編はこっち。

なんとなく、日立を辞めるあたりから、失格社長の方で再開してます(笑)

大企業を退職する決意

こことおんなじトーンですけど(爆)  


Posted by kmorita at 16:25Comments(0)番外

2008年11月04日

どんぐり君からの手紙

森の文化祭で書いた子どもたちの手紙にどんぐり君から返事がきましたよ!

  


Posted by kmorita at 20:11Comments(0)なんとなく

2008年11月03日

餃子パーティー

かみさんに作り方を習って娘も奮闘中。

  


Posted by kmorita at 17:52Comments(0)なんとなく

2008年10月25日

プレ森の文化祭

一足早く撮影スポット堪能。明日は皆さん、公渕森林公園に来てね〜。どんぐり忘れずに!

  


Posted by kmorita at 18:53Comments(2)イベント

2008年10月24日

カニ捕り2008秋

突然ですが、ここのブログは、地元でこそこそこれから開催していく各種イベントの案内なんかをしていこうと今決めました。

そんなわけで、第一弾。




香川のおっちゃんは、みんなカニ捕りが趣味でした。
それぞれに磨き上げた漁法が存在します。
今回は、初心者でも簡単に捕れる方法を伝授しますぞ。
ワタリガニの狩猟民族的捕り方と強烈に旨い食い方に関して体験します!

夜に興奮したいヒトはぜひ参加ください。



日時 2008/10/31(金) 20:00-22:00
場所 志度のムーミー集合 19:45
内容 ワタリガニの狩猟民族的捕り方と強烈に旨い食い方に関して研修
参加費 300円(えさ代、鍋の食材代)
服装 防寒体制完備、動きやすい足元
定員 20人
持参物 懐中電灯
天候 強風時、雨天時は即座に中止!
申込 コメントか、森田までメールにて。
締切り 2008/10/29

脳内にアドレナリンが大量分泌します。で、すぐに「熱く」なりますよ。

転送、blog転載大歓迎!


  


Posted by kmorita at 13:56Comments(0)イベント

2008年07月24日

番外:失格社長の語るビジネス戦略

まいどどうも。森田です。

この度、このブログの継続を断念したわけではないですが、新たなブログを性懲りもなくはじめてしまいました・・・・。

失格社長の語るビジネス戦略

遠くから温かくお見守りください・・・。

  


Posted by kmorita at 17:28Comments(0)番外

2008年07月11日

番外:モチベーションあがらず・・・

個人サイトのブログが日々のフローネタとしたら、あしたさぬきのこのページは、ストックネタで行こうと思ってやってきたのですが、なんかこう、昔話を書き綴るのはけっこう精神的にしんどいですね(笑)

後ろ振り返りまくりみたいで。

そんなわけで、ここは思いついた時にまた更新するとして、趣向を変えたやつをちょっとはじめようかと考えたりしています。



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Posted by kmorita at 11:37Comments(1)番外

2008年07月04日

名古屋生活スタート!(3)

配属一日目はなんだか書類とにらめっこして終わった。今のようにメールがあるわけでもなく、仕事しているふりしてネットサーフィンができるわけでもない。SEさんの机の上にはパソコンらしきものがあるようだけど、営業の机の上には何も無い。営業部長の机の上には大型計算機の端末みたいなのがあって、スケジュール管理のグループウェアらしきものが動いている。それだけ。なので、時間つぶすのもひと苦労だ。

17時22分が終業時刻。変てこな中途半端な時間だけど、これは労使交渉の末、1分単位で労働時間が短くなってきている結果だそうだ。すごいね。

終業時刻と同時に女性社員たちは帰り支度をしている。営業の先輩たちはみんな監査対応で忙しいようで、帰りそうに無い。といって僕が手伝うこともなさそう。みんな、

「今日ぐらい早く帰って、荷解きしなよ。」

と言ってくれる。それもそうだ。

地図を頼りに、新居に。三角屋根の面白い形のマンション。ここの6部屋程度を独身寮として借り上げてもらっている。部屋の中は荷物でいっぱいで途方にくれたが、人生初のワンルームマンション(風呂トイレ付)だ。ワンルームといっても12畳程度はある。東京の独身寮から考えると雲泥の差。これで寮価格で住めるんだからこれだけでも名古屋配属の価値はあったな。

取り急ぎ、外から丸見えは恥ずかしいので、カーテン代わりにシーツを窓に垂らして、まだ未開封の段ボール箱に囲まれて、麦酒とホカ弁でにやつく僕でした。


(つづく)

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Posted by kmorita at 10:53Comments(0)日立時代

2008年07月03日

名古屋生活スタート!(2)

始業時間になると、どこからともなくラジオ体操の音楽が流れてきた。と、男性社員は立って体操を始める。当然僕も体操始める。やっとメーカー社員の朝みたいになってきたぞ。

が、5人いる女子社員は目の前で男性社員が体操していることも、鳴っているラジオ体操の音楽も、まったく見えない、聞こえない雰囲気でうつむいて席に座っている・・・。異様な光景。男性社員、管理職の部課長も誰も注意しない。もうそういうお約束なんだな・・・。(この男性だけ体操するというのは、僕が後に退職するまで変わらなかった。)

体操が終わると、若い先輩が声を出す。

「はい、おはようございまーす。」
「おはようございます。」
「朝礼をはじめますー。何か連絡事項のある人はいますか?」
「・・・・・・。」
「えー、Mさん、森田君の紹介を。」
「お!そうだね。僕もまだ初対面なんだけど、待望の!新人の森田さんです。どうぞ自己紹介を。」
「はじめまして。この度、こちらの営業グループに配属になりました、森田です。香川出身です。どうぞ、よろしくお願いします!」
(パチパチパチパチ)

そんな感じで一日目がスタートした。僕の教育担当のMさんは30歳前の若手主任。待望の部下誕生がほんま嬉しい感じがにじみ出ている。ただ、内部監査が入っているとかでものすごく忙しいようで、ほとんど相手にしてくれず。

「ほんま、ごめんなぁ。落ち着いたら晩御飯、じゃんじゃん食べようなぁ」
「いえいえ、お気遣い無く・・・」



優しい先輩だなぁと思っておりましたが、その後、ほぼ毎晩、呑んで連れまわされる日々を実感することになるのはもっと後です。


(つづく)

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Posted by kmorita at 20:36Comments(0)日立時代

2008年07月02日

名古屋生活スタート!

名古屋の初日を僕は駅前の名鉄グランドホテルの一室で迎えた。右も左もよくわからない名古屋に、前日新幹線で降りた僕は、疲れ果ててそのままホテルへ直行。通された部屋は、窓を開けたら隣のビルの壁!みたいなかなり安い部屋。

(それでも部長は、「高いとこしか取れなかった」みたいなこと言ってたなぁ・・・)

前日に買っておいたパンを食べて、身支度整え、僕はオフィスに向かった。日立といっても、中部支社とは別事業部なため、オフィスも駅前に別途借りているらしい。名古屋駅のほんと目の前のその名も名古屋ビルという建物。屋上にでっかい日立の看板があって、入居している企業も日立系が多い。エレベーターであがる。

(おぉ、ここが僕の職場か!)

「すみませーん・・・」

と、声がしない。と思ったら掃除のおばちゃんが何人かいる。

「まだ誰も来てないよ」
「え?」

確かに、始業時間までまだ30分以上あるけど、そんなものなのか。ボーっとしてると、初老のおじさんが入ってきて、

「おぉ!君が森田君か。おはよう!!」

と元気に声かけられる。総務担当の課長らしい。席に案内される。東京のオフィスに比べたら、なんとなく鉄系のにおいのする家具が多いが、こんなもんなんだろう。やがて、SEの先輩たちが出社。ものすご視線が飛んでくるが、声をかけてくれる人は少ない。始業前になってやっと営業の面々到着。こっちは、ものすごい笑顔で迎えてくれる。

「よーきた!よーきた!待ってたよう!」

そうなのだ。僕はこの営業部、特に学術系では数年間待ちわびた久しぶりの新人であって、膨大な仕事が既に待ち構えていたのである。


(つづく)

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Posted by kmorita at 14:15Comments(0)日立時代

2008年07月01日

営業研修と配属(5)

いよいよ辞令式当日。九段下をあがった場所にあったオフィスのホールで、営業組だけが集まって、辞令式。SEはまだあと二ヶ月の実習。

「公共情報本部、官公庁第一営業部第一営業グループ配属、XXXXX!」
「はい!」

みたいな感じで、読み上げられていく。で、すぐに迎えのOJT担当の先輩社員、だいたい主任クラスが来ていて、呼ばれる先から連れて行く。なので、どんどん部屋から人が減っていく。官公庁から、自治体、学術情報と進んで、最後に地方営業所。なかでも名古屋は最後。

で、先輩控え所を見てみたら、もう、初老のおじさんしか残っていない。

(え!あのおじさんというか、おじいさんが僕の教育担当の主任かよ!?なんか配属時点で窓際っぽいなぁ・・・。あの歳で主任かぁ・・・。)

「公共情報本部、中部営業部、第二営業グループ、森田桂治!」
「はい!」

と返事したものの、これからこのおじいさんと二人三脚の毎日かと思うと恐らく顔が引きつっていた。

「ちなみに、本来は主任のMさんが来るところなのですが、出張でこられていたH部長が代理で来られています。」

(えー!部長さんですか!!)

今となっては、大企業の部長だろうが、「ふーん」なんだけど、当時は大日立の部長といえば、島耕作もなかなかなれなかった様に、雲上人である。

「やぁ、森田君。よろしく。今日移動して、明日から名古屋だよね。じゃぁ、これ。もっと安いところと思ったんだけど、とれなくてね。では、明日。」

と、ものすごい短時間で要件だけ済ませて去っていった。手元には、名鉄グランドホテルの宿泊チケット。なんか今、「もっと安いところと思った」とか言ってたな・・・。どうゆうこと?

まぁ、あまり悩まずに、僕はその足で会社をひっそり出て、九段下の駅へ歩き出した。目の前には、武道館の光る玉ネギ。あの歌のように、坂道を下って、僕は東京を後にした。


(つづく)

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Posted by kmorita at 17:23Comments(0)日立時代

2008年06月30日

営業研修と配属(4)

正式に営業の配属が発表になった。見事、「森田、中部営業部(名古屋)」。

辞令式のあと、すぐに移動となるんだそうだ。日立の場合、辞令があると即日移動が原則で、そのあたりはグループ会社の日立物流も全面的支援なのか、

「辞令→とにかく帰宅→既に段ボールが到着→荷物詰めて夕方までに荷出→次の日、新任地に出社→新居に帰宅後、段ボール開梱」

という無茶苦茶がけっこう普通だったようだ。

僕も、任命式当日に、引越しと体の移動をすることになった。

で、前夜、同期のみんなが送別会を開いてくれるとのことで新宿界隈へ。100人ぐらい。こうなると誰が主役かわからん呑み会になるのだが、同情の声とともにけっこう主役だった。つくば営業所にいくものと、名古屋の僕。ただ、僕にしてみれば、大都会東京を離れる寂しさはあるものの、明日からは自由な空気の中(たぶん)、名古屋ライフを満喫できるのだ(たぶん)。それゆえ、最後の夜は思い切り呑んでやろうと思った。

カラオケでは、別れの曲をみんな歌いまくり。その中で、なかなかの美人の同期、Kさんが、僕のために

「なごり雪」

を歌ってくれた。せつせつとつぶやくように歌う・・・

「東京で見る雪はこれが、さーいーごねーとーー」

うむ。いい感じだ。(会場じーん・・・)




と、途中からガラの悪い連中が、

「なごやゆき(名古屋行き)」

の替え歌にしてしまったのは、最初怒ったが、同期でドタバタするのもこれが最後かと思うと、涙出てきたなぁ・・・。



(つづく)

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Posted by kmorita at 11:17Comments(0)日立時代

2008年06月25日

営業研修と配属(3)

名古屋を希望したものの、定数は恐らく1名。大半は東京。まだ面談終わってない人も多く、名古屋出身者も多い中では世論形成の必要性を感じた。名古屋出身者は基本的に戻りたいという空気を出していたが、それ以上に、「同期の中でひとりだけ離れるのはどうよ」というネガティブな面もあった。僕の場合は、ぜひ離れたかったわけだけど。そのネガティブ面をとにかく押し出していった。

「なんか、こう寂しいけど、まぁ、オレは東京の空気いまいちなんで、ひとりで名古屋行くわ。」
「えぇ、森田!寂しいこというなよー。けど、お前が行ってくれたら俺ら安泰やな・・・」
「オレは四国から来たから島流しでもええぐらいなんだけどね、名古屋ならみんなとは離れるけど、なんとかオジサンたちとやっていくわ。かわいい女の子もおらんやろうけど」
「ほんまやで、せっかく同期の女性陣とも仲良くなってきたのに。XXちゃんとはええ感じやないか」
「残念やけど、たまの研修では遊びに来るよ。名古屋は食べ物も不味いんやろなぁ」
「あぁ、森田で決定でええやんな。みんな森田がここまで言ってるんだから、行ってもらおうよ!」

そんな感じで、「名古屋は森田」というのが事実上同期の中で決まっていった。周りはものすごい同情の嵐で、女性陣からは憐れみに似た声もかけられたが、僕は心の中でガッツポーズだった。


(つづく)

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Posted by kmorita at 09:37Comments(0)日立時代

2008年06月18日

営業研修と配属(2)

この時期になってもまだまだ同期のみんなはどこか、「群れたがる」感が強かった。中高時代に仲間はずれになりたくないがために、多数派を形成するかのように、「群れる」。僕が休みにひとりで映画などに行って帰ってくると、

「森田、ひとりで映画や見て何が楽しいの?」

と本気で不思議がっているのにはびっくりした。それぞれが配属先に散っていき、新しい人間関係が形成されていけば、そういう「群れたがる」意識もなくなるのだろうけど、配属前のみんなはまだまだ狭い宇宙の中でもがいていたんだろう。

そんな時、いよいよ配属先の希望を出す面談が開始されることになった。公共情報事業部といいつつ、エリアは、東京、神奈川、つくば、名古屋に限られる。分野的には、官公庁、地方自治体、文教の三分野。

寮を出て、そして群れから出たかった僕は、躊躇せず、まだ降り立ったことも無い見知らぬ土地、名古屋を希望した。





本当は、彼女のいる京都にちょっとでも近づきたかっただけなんですけどね。



(つづく)

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Posted by kmorita at 12:43Comments(0)日立時代

2008年06月17日

営業研修と配属(1)

(淡々とした思い出が続きますがお許しを。)

コンピュータ実習の終盤、今後の配属のための面談があった。進路は3つ。営業かSEか、それとも管理部。管理部は経理や資材やまぁ、そういうスタッフ部門。僕はもう自分から営業しかないと思っていたので、面談も数分で終了。しばらくして職種発表。SE希望の中には管理部門になってしまってショックを受けていたものもいたが、営業の希望を出していたものはほぼ全員営業。

コンピュータ実習が終わって、すぐに今度は営業研修が始まった。この時点で10月頭。まだまだ新人研修は続くのである。企業に余裕があった時代なんだなぁ。営業研修は、名刺の受け渡し方からはじまって、顧客訪問のロールプレイやらなんやらけっこうみっちり。講師の課長さんの眠い講義が延々続く。

「俺たちが売るのはコンピュータじゃなくって、システム。システムというのはお客さんの課題解決をするもの。わかるか?」

一同、ポカーン。「システム」って言われても、この頃の僕らにはピンと来ない。そもそもお客さんの「課題」がなんなのかもよくわかっていない。聞こえてくるあらゆる言葉が頭の中を素通りしているのが実感される毎日だった。



(つづく)

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2008年06月13日

東京に戻って研修続く(2)

特に面白くも無い、退屈な研修が延々と続く。工場実習のことは二ヵ月半のできごとなのに山のように思い出があるが、このコンピュータ実習においては思い出がほんと少ない。入っていたビルが、川崎の郊外のツインタワーだったんだけど、これが地上30階建て(って、記憶あいまい・・・)。研修を受けていた部屋は11階。なのに、僕は毎日、混んでいるエレベーターを避けて、運動と思って階段で登っていた。さらに元気な時は、まず最上階まで上がってから11階までおりてたことも。

昼休みには歯ブラシ持参で歯を磨いていた。ところが、同じように昼休みに歯を磨く男性社員は同期150人中、3人しかいなかった。他にもなんか難しい本を読んでみたり、帰り道で一人で映画を見に行ったりと、とにかく、馴れ合いムードがどうにも嫌で、自己の確立という部分でかなり焦っていたように思う。

ただ、今もそうだけど、呑み会、宴会の類は大好き。コンピュータ実習の期間は金もないはずなのに、かなり頻繁に呑み会が開催され、会社からもなんだかんだと援助が出たりで充実していた。今にして思えば、この期間に付き合いだしてゴールした同期の男女も多かったなぁ。あのコンピュータ実習の期間は、パートナー探しの期間だったんだろうか・・・。


(つづく)

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Posted by kmorita at 12:00Comments(0)日立時代

2008年06月12日

東京に戻って研修続く(1)

長かった茂原工場での工場実習も6月末日を持ってようやく終了。

7月からは三ヶ月のコンピュータ実習。蒲田でJRに乗り換え、川崎の事業所まで通勤の日々に。コンピュータの歴史からはじまって、その中の日立の位置づけを学習する。続いて、連日、「COBOL」によるプログラミング。前提として、チャートを使った開発手法などを勉強。

ついこの間までブラウン管のネジ締めの日々だったので、ギャップに戸惑う。理系のコンピュータ専門に勉強してきた面々から見れば、簡単なことなんだろうけど、僕には理解するのに苦労する。この瞬間、あぁ、オレは営業に行くんだなと感じていた。ところが、同じようなチンプンカンプン系の女子社員たちはまともに勉強をしようともしていないばかりか、

「あたしは、えいぎょうむりだから、SEなのよねぇー」

とか言ってる。いくらバブルとはいえ、数だけ揃ってるんでいいのかなぁ・・・。

当時、「ウォーリーを探せ」はまだなかったけど、僕はそういう多くの視覚的情報の中から間違いや、類似やらを探すのが得意で、この能力はチームでプログラミング開発しているときに大いに発揮された。また、学生時代に心理学的な領域をやっていたからというわけではないけど、人間がやってしまいそうな間違いの推察もわりと得意。とにかく、バグを見つけるのが速いのだ。

人間、やっぱり麻雀や、モノポリーで鍛えられるんだなと感じる毎日。

(つづく)


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Posted by kmorita at 11:28Comments(0)日立時代

2008年06月05日

激闘!茂原工場(6)

(なんだか、茂原工場ネタだけでまだまだ進んでしまいそう・・・。そろそろ締めないといけませんな。)

わずか三ヶ月弱の茂原工場での実習。だけど、思い出がたくさんあるのはそれだけ異体験、非日常の連続だったからだろう。特に三番勤務の夜勤の印象は強烈だった。

寮で夜の19時ぐらいに目覚めて、出勤前の「朝ごはん」を食べる。夜だというのに、ちゃんと納豆やら生卵やらのメニューがあるところが憎い。とんねるずやら、ダウンタウンやらのテレビを見つつ、だらだら過ごす。ニュースステーションが終わるぐらいに着替え始め、23時30分に寮を出て、街灯の明かりをたよりに工場へ。

23時50分から朝礼(笑)。24時に二番勤務と交代。夜中の1時半ぐらいに休憩。タバコを吸う人が多いので、僕も缶コーヒーを持って真っ暗な外へ。3時半ぐらいに昼休み。昼ごはんを食べに、真っ暗な中を歩いて、食堂へ。夜は残念ながらメニューが昼間の半分ぐらい。定食やらラーメンやら。日立はとにかく食堂の料金が安い。一食200円ぐらいで食べられる。昼なら売店なども空いているんだけど、夜中はクローズ。昼休みの1時間が長く感じる。雨が降ってなければ、夜風を感じながら芝生の上でごろり。

眠い目をこすりながら、現場に復帰。かなりキツい。6時過ぎの最後の休憩。もう明るい。この時点で疲労感たっぷり。体力というより精神的にまいる。ここからの2時間弱はさらに地獄。例のカウントダウンが頭の中で永遠に繰り返される。そのかわり、8時になった時の解放感はものすごい。アドレナリン出まくりで、スキップしながら寮に帰りたくなる。

寮に戻って、8時半ぐらいに晩ご飯(?)。朝風呂を浴びて、着替えて、そこから人によっては飲みに行ったり(笑)。僕はぶらぶらと本屋に行ったり、開店前のパチンコ屋に並んだり。一度、思いっきり出まくってしまって、パチンコ屋から帰れなくなり、18時ぐらいの段階で徹夜(?)を覚悟してパチンコを続けたこともあった。

だいたい、12時ぐらいに戻って、そろそろ寝ようかという感じ。寮では寝てるやつもいれば、ゲームしているやつも。流行したのは1,000ピースとか3,000ピースとかのパズル。みんな毎週一個買ってきてやっていた。パズルを楽しんでいる声をききつつ、彼女からの手紙を読みながら昼過ぎに眠りに落ちる・・・。

毎日が不思議な雰囲気だった。

(つづく)


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Posted by kmorita at 13:55Comments(0)日立時代

2008年06月04日

激闘!茂原工場(5)

苦しい工場での「ボルト締め」の日々にも慣れてきた4日目、次週以降のシフトカレンダーをもらった。

「げげっ!」

次週はいよいよ三番勤務。なんと、月曜日の午前零時からスタートだ。いや、それって、日曜日の24時やし。サザエさん症候群になる暇もなく、日曜の夕方から夜を過ごさねばならない。ただ、金曜日の午前8時で勤務が終わる。翌々週は、二番勤務で、こっちは月曜の16時からだ。ということは、

金曜日の朝の8時から、月曜日の夕方16時までが週末ってことだ。これはすごい!悪くないねぇ!

そこで僕は考えた。金はないけど、京都にいる彼女に会いに行こう、そうしよう。三泊四日で行けるじゃないか!僕はもう心の中で決めていた。が、班長さんが一言。

「その週の勤務終わったら、森田君の歓迎会やから、そのつもりでな。楽しみにしとけよ!」
「え?勤務後って、金曜の朝ですか?」
「そうやで。なんか変?」
「えーと、朝の8時過ぎからですか?」
「そうそう。うまい魚の店予約しておいたから。みんな来るから。カラオケもあるから。」

話がよくのみ込めなかったが、どうやら茂原工場の周辺には、三交代制勤務にあわせて、24時間空いてる居酒屋などがたくさんあるらしい。朝の8時半から宴会などは普通なんだそうだ。まぁ、昼ぐらいに出れば夕方までには京都に着くからいいだろう。で、その金曜日がやってきた。(夜勤の話はまた後ほど)

「えぇー、今週もお疲れ様でした。森田君もなれない仕事、お疲れ!さぁ、パーっと行きましょう!」

まいった。まいった。工場で働いているおじさん、おにいさん、おばさん、全員が全員ものすごい酒豪!僕もどっちかというと宴会好きだし、すすめられたものは断らない性格なので呑みまくってしまった。

「いやー、もりたくん、うぃっ。さいひょはかたいやつかとおもったけど、おもしろいやつやなぁ(という感じの千葉の方言にて、以下同)」
「そやそや、うしろでみとっても骨のあるやつってわか、わか、わかるでぇ~!」

口数少ないはずの同じ担当のヤンキー風おにいさんも、口数もっと少ないはずの職人おじさんも、もうベロベロでしゃべりまくり。結果的に僕はこの日を境に皆さんと仲良くなったので呑み会は大事だなとあらためて感じた。

そして歓迎会はお開きになった。11時。感覚的には、夜の21時ぐらいだ。

「おぅおぅ、もりちゃんよー、まだかえったらいか、いか、いかんぞぉ~」
「えーと、僕、これから私用ですが、東京(ほんとは京都)に戻らないかんのですよ」
「だめだめだめ、もういっけんいくぞー。まだ夜はながいんやで~」
(いえいえ、完全に明けていて、陽が高いんですけど)
「えぇ。まぁ。けど、皆さん、すごく酔ってますよ。大丈夫ですか?」
「だいじょーぶ、だいだいじょーむ。ふぅ」

そんなわけで、二軒目に突入。なんと、いわゆるオネエチャンのいるクラブというかラウンジというか。ドア開けた瞬間、先客の大音量のカラオケがなり響いている。昼の11時半なんですけど。

店のオネエチャンはママさんとチーママ以外はみんなたぶんフィリピンからの人たち。流暢な日本語で接客。班長さんたち一味は常連らしい。僕はそこで1時間ほど飲んで、

「よっしゃ!もりちゃん!きょうはよーやった!!」
(いえ、何もしてませんが)
「よー、よるおそくまでつきあってくれた!」
(金曜の昼の12時半ですけど)
「いっきょくうたったら、タクシーよぶわ!さぁ、うたえ!」

この状況では何を歌ったらいいのかよくわからんが、ほとんどみんな一週間の労働に疲れていて、泥酔で寝ている。まぁ、なんでもよかろう。

「では、えーと、サザンなど一曲。」

そして僕は昼の1時に、フィリピンから来たオネエチャン達の手拍子で、他誰も聞いていない、「女呼んでブギ!」を熱唱したのでした。




(つづく)


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Posted by kmorita at 17:46Comments(0)日立時代