2008年05月12日

僕の就職活動(4)

内定式から一ヵ月後の1991年10月31日。なぜだか東京の某所に内定者が全員呼ばれた。通知らしきものは内定式で終わったし、入社まではまだまだたっぷり時間があるのに、なんだろう?とR大での内定者集まって相談。わけわからんやつらが集まってもなんもわからん。たぶん、なんかまた内定者縛りみたいなもんだろうと当日を迎える。

京都駅で新幹線に乗り込んだファコム・ハイタック株式会社R大内定者数名。同じ学部のY君が駅のホームで買った日経の5面ぐらいの見出しを見て、一同、驚愕。

「ファコム・ハイタック株式会社、発展的解散。」

えー!?

え、えー!?

発展的解散?発展的とはいえ、解散は解散。って、発展的って何?一ヶ月前のあのニコニコ顔の内定式はなんだったのよと。詳細読むも、まぁ、時代の要請が終わったとかなんとか、よく分からんことしか書いていない。うーん、内定した会社が解散かぁ。

新幹線の一部のリクルートスーツの数名が異様な盛り上がりを見せつつ、東京駅へ。会場のホテルに着くと、これまた興奮状態。しかしまぁ、天下の日立と富士通。恥ずかしいようなことはやるまいよ、とみんなそれなりに平静を装う。バブル世代の余裕と言うやつでしょうか。僕は母親に言ったものだった。「日立がつぶれるような事はないよ。日立がつぶれる様な時代が来たら、もうそれこそ、日本中終わってるからどこの会社にいても同じだって。」けど、まさか入る前に振り回されるとはなぁ。つーか、この時が僕の保守性のピークだな。今こうして振り返っていると同じ自分かと不思議だ。大学時代に、かなり左派的な感覚も学内にまだ充満していたので、けっこう反体制的な気持ちもあったのだけど、「就職が決まって髪を切ってきた時もう若くないさと君ははしゃいでいたね」の「いちご白書をもう一度」を地でいくとはなぁ。

会社側から説明。まぁ、筋だって聞けばなんの問題もない。株式会社日立製作所への内定に代わるだけだ。配布資料と数分の説明で理解できる。が、理解できないやつも多いんだな。念のための念のための念を押して聞くような質問をしている。新事業部ができて、全員そこに入るのだ。やる仕事は一緒。残って会社の担当者にあれこれ追加で質問してるのもいたが、僕らは早々に引き上げる。

正直、ちょっと残念だった。親や周囲に就職先の説明をするのは簡単になったけど、特別なミッションを帯びた会社に就職するような高揚感があったのに。残念だ。急に普通のサラリーマンになるんだなと感じ始めた。僕はJICAや宇宙開発事業団のようなところを最初就職先に考えていただけに、平凡になるのがちょっと嫌だった。

が、この解散したファコム・ハイタック株式会社の帯びたミッションが別のところであって、それ自身はまだまだ続くってことはかなり後で知ることになる。僕はまだ「日立」ってところにピンと来てなくて、そもそも前株か後株かもよく分からず、かつ、「日立制作所」と書きかねない状況だった。アブね。


(つづく)


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